2017/02/22

にっき

・二段組の小説の一ページは普通の一段組の2倍を通り越して3倍くらい読む時間がかかるような気がする。あまりにも遅いので、素早さにデバフ(まいなすぱらめーたーじょうたいをしめすげーむようごだよ)を掛けられた気持ちになる。デバフって言いたかった。

・さいきん、映画でもゲームでもなんでも思うのだけど、「中盤」の作りを気にしてしまう。作り手の方は一体どういう気持ちで作ってるんだろうな、と思ったりする。序盤でも終盤でもなく、中盤だ。序盤は、何かしらまず打ち出したいものがあったりキャラクターを出したり説明したりもするし、終盤=ラスト辺りも、やはりまた作り手の力が篭もる場所だと思う。でも、中盤は、そのどちらでもない。中盤は、ほぼ必定として、黙々と持続するところだ。コンセプトやルールを発射し終えて、デザインも一通りお披露目して、それらを上手く転がして、転がし続けるところなのだ。そう、続ける。輝かしい幕開けはとうに過ぎ去って、来るべき幕引きは地平線より遠く、そんな道程を、汗をかきながら、ひたすら走り続けなければならないところだ。そして中盤は大抵のところ、長いのだ。冒頭や終局よりも。だから作る人は、その作業量にダレるかもしれないし、「これ本当に面白いのかな…」などと自省したり、そこでかつて見えなかった方向性(多分結果的にだめな道)に救いを見出したりするのかもしれない。だからこそ、実は中盤というフィールドこそが、作り手の本領発揮、というか、「地の力」が出やすいところなのかな、などと考えたりする。そんなわけで、中盤をきちんと駆け抜けられる物語は、力強いと思う。けつろん。創作物を見るときは、その中盤に注目だ。でもあーりんのはやめてほしい。

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