2017/02/02

[しょうせつ]遠すぎて近い冬



「へえ、知らなかった、外国の人もファンサービスって言葉使うんだね、ほら見てよこの自撮り、こないだ教えたセレブの歌手の、なんかセレブの。ところでセレブってどういう意味なんだろ。この投稿と一緒にファンサービスって書いてる。サービスってこのつづりでいいんだよね。ねえいいのこんなに肌出して、海外の人ってどういう感覚なんだろってよく思う。思わない?」

「あまり思わない」

「投稿が一時間前なのにもうこんなに拡散してるし。午後九時で。いや時差あるのか。…うわあ、見たくないなあこの写真についたコメント。英語だからわかんないけど」

「で、何が言いたいの」

「いやあ、ねえ。あーあ、わたしもなあ! ちらっと肌を見せて投稿するだけでファンサービスになっちゃうような体に産まれて生きたかったなあ、みたいな感じ?」

「そういう生き方は損するよ」

「損得で考えるのよくないよー、わたしだってこういう写真とか撮ってみんなに見せてちやほやされたい。楽じゃん」

瞬間。数多くの、様々な文脈と声音の言葉がわたしの脳裏に浮かんでは、そのまま流れるように脳髄に沈んでいった。言葉たちは、微かながら命を持っていたように思う。だがわたしはそれらを見殺しにした。すべてが彼女には相応しくなかったのだ。

静けさの根拠は、なにもわたしが黙っていたからのみではあるまい。冬の夜は、あらゆる声を押し殺していた。わたしの聴覚が捉えていたのは、アウトレットセールで奪うように買ったが冷静に見るとあまり好みではない意匠の掛け時計と、灯油と電力をばりばりと喰らっては熱とH2Oと何かに変換するファンヒーターの駆動音だけだった。

窓の外では、暗夜を背景に、乾いた雪片たちが身勝手な舞踏を続けている。明日の積雪量は予報を決して裏切るまい。

彼女の疑問に応えることにした。

「セレブは」

「えっなに」

「セレブは、セレブリティの略。セレブレイテッドの略ではない。セレブリティはラテン語系の古い英語だけど、前世紀の90年代ごろからメディアで頻繁に使われだした。名声を有する人たちを主に示す。スターに近いけど、やや軽蔑的な呼称でもある。日本国内でのニュアンスとはかなり異なる」

へえ、と実に間の抜けた息を漏らして、彼女はわたしに丸い目を向けた。ソファの背もたれによりかかって、お得意のきょとんとした顔を見せていた。

「詳しいんだね」

「今、検索したから」

わたしは、ちら、とソファの彼女を横目に見た。まったく、なんて動きが読みやすいんだろう。彼女はやや不満げな様子で、わたしが手に取るスマホの側面を凝視していた。

室内気温の低下によるものか、ファンヒーターの駆動音がスケールを上げた。しかしセッションを続ける掛け時計の秒針は、相も変わらずのテンポを保持している。

そこで彼女が、ようやくことを切り出した。

「ごめんね、泊まりたいなんて言っちゃって。突然に」

「いいよ。空間的にも」

「でもさ、いきなりだったじゃん。全然言ってなかったし。だから」

「いいよ。空間的にも時間的にも」

「でもさ、わたし申し訳ないって思ってるよ、こんな寒い日に、身勝手な理由で上がり込んじゃって、ごめん、わたしのことながら、ひどいなって。本当、迷惑だわたし」

「いいよ。空間的にも時間的にも、わたしの部屋は空いているし、友人のあなたに食事を作れないほど、うちも財政的に逼迫してはいないから」

「でもさ」

「いいよ。それに」

窓の外に、ふいにわたしは視線を向ける。

乾いた雪片たちは、一段とその量と勢いを増して、暗い中空を舞台に踊り続けている。

静寂の押し込められた、真冬の夜だった。

「別に、迷惑でもないし」

わたしの語尾に重なるようにして、陽気に過ぎる効果音が広くもない部屋に響いた。

目を向けると、彼女はスマホを片手に取って、背面のカメラレンズを向けている。

自分自身の腹部に、接写するかたちで。

もう片方の手は自身のセーターとシャツをずり上げて、その肌を露出していた。

ふたたび、馬鹿馬鹿しいほどに虚しい撮影通知音が鳴った。

わたしの視線に応えて、

「ファンサービス」

と、彼女は実にのんきに答えた。

「……いつもの身内のアカウント?」

「もちろん、新しく作ったアカウントだよ。思ったの、これからはどんどんファンサービスしようと思って、沢山の人に見せられるじゃん。わたしだってセレブになりたいもん」

わたしは、繰り返した。

「そういう生き方は損するよ」

我ながら代わり映えのない語調にぷはっと笑って、彼女も繰り返した。

「損得で考えるのよくないよー! あなたっていっつもそう。頭の中、電卓みたい」

「じゃあ、言い直すけれど」

彼女から視線を逸して、わたしはベッドの隣のテーブルに無造作に放られていた漫画の背表紙に目を向けた。恐ろしいまでにデフォルメされた顔面のキャラクターが、部屋の天井に至れりつくせりの笑顔を向けていた。

「わたしは」

すでにファンヒーターは、その音階を落としていた。

だから、わたしが声をはっきりと上げるには、丁度よかった。

「そういう生き方をしてほしくないんだ」

<おわり>

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