古典の名作、世紀の傑作と語られる作品には、「どれだけ時間が経っても、作風に時代を感じたとしても、やはり多くの人々の感性に訴える、スゴイ代物」と、「その時代特有のムードや、限られたファンへのアプローチ等の諸事情によって、名作として担がれてしまったもの」の二種類に、明確に分けられると思うので、もし名作と言われている作品を読んだりして「あれ?おかしくない?」と思っても、後者ということにして、あまり気にしないのが賢明だ。
たった今の自分に向けて。
面白くないものがどうして面白くないのかを懇々と問うよりかは、「なぜ当時その作品が後者の枠組みに収まり、今もそう語られるのか」を思考してみることの方が、まあどっちかと言えば価値があるのかな、と思う。
その手で触れて、素直にそう感じた、自分の感性を、何よりも大切にしよう。
(…なにを読んだかって、それは秘密。だって名作だから)
2017/04/19
2017/04/03
2017/04/01
無理を通してSAW理を通す
なんといってもドッキリメカの創作意欲と制作スピードがすごいことになる
そう シリーズを一気観したよ
ねっとふりっくすと レンタル屋さんで
人さらいをしては世にも恐ろしい殺人からくりに陥れてその人性をためす殺人鬼ジグソウにまつわる、人気パニック映画シリーズだよ
続けるにつれて。
続けるにつれて、どんどん舞台の規模を大きく、その表現も過激にせざるをえなくて、まるでそれに反するようにして、ストーリー的にはやりたいことやっちゃったからもう行き詰まっていくしかなくて、むしろ尻すぼみに、呼吸困難のようになっていくという、
「意図せざる続編の悲しみ」、
みたいなものを、このシリーズ7作は大いに体現してくれたと思うし、少なくともそれに大いに対面した思いには、勝手になったよ。
そんなことを感じながらも、あーりんは最後まで結構気持ちよく楽しく見られた。「うええ~~??」みたいにリアクションしながら。アホだから。
傑作だと思う「1(むじるし)」ではグロテスクな描写は実はかなり控えていた(最後のアレのシーンでも、まったくその箇所を映していない)のに、どんどんイケイケbowel飛び散り上等になっていったのが、なんだか象徴的におもえた。そして、それを遂行するビックリドッキリメカやそれを仕掛ける理屈は、どんどん杜撰にもなっていった・・・。
一言で言えば、まあ、「ソウは~まで」とか乱暴に言われちゃう代物だと思うんだけど、(あまり一言で言えてない)
でも、なんか、最後まで見た感想としては、あーりんとしては、
にくめないな・・・。にくめないんだ
~~~
だって、だって・・・この「1(むじるし)」をやったあとに、「人気出たから続編作りまくるのだ」なんてことになっても、当事者があーりんだったら、もうどうすればいいのか全然わかんないもん。どんなに頭を捻っても、この納得させる形の物語を連発できそうには、ないもん。それはもう無理なことだと思うから。
その無理を通してでも続編を作る、続ける、ということを、できるだけのサービスをもってして、殺(や)ってくれたと思う。だから、あーりんは、この一連のシリーズが、なんというか、にくめない。いやになれなかった。
ムリがあるとか後付だとか矛盾するとか、そういう数々のトラップを差し置いても。
よくここまで続けてくれたものだなあ!と、あーりんはセンキューを贈りたいんだ。制作者にも、ジグソウにも。いややっぱりジグソウはだめだ。
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