2017/02/24

「この作品は、自分の中で大切にしておこう」の方がじつは多い、けれども

自分が見たり聞いたりした作品に対する、インターネット上の感想が、自分が抱いた骨子とはまるで違う観点のものばかりだったりすることがある。ままある。その時、「すごいな、多くの人はこう見ているのか」と感心し、そして、「本当にひとりになってしまったな」と、思う。統計学の勝利である。多くの観測を経て、概ね客観的な確定性を得るのだ。自分がひとりであることに。

ひとりであることそのものに問題はない。むしろ、メリットも多い。

その一方で、今後,自分が何かを成し遂げようとする時に、そしてわたしではない他の誰かの感性との一種の必然的な共同作業によって、それを成し遂げなければならない時に、「自分が一人であった事実を起因させる『何か』を、こちら側が発見して取り除く手立てが非常に見つけにくいと思われる」状況が、ただひたすらに、恐ろしいのだ。その気配を感じ取った瞬間に、迷いなく自分はなるべく暗い部屋の隅に逃げ出して、ひざまずき、孤独の影に全身を震わせるのだと思う。ひとりであるたった今ではなく、ひとりでありつづけることを達成せしめた諸要素たちにたいして、怖気づき、足をよろめかせて、慄き、瞳を地の底に向けては、呻き声を上げるのだ。あるいはそれは、祈りの声なのかもしれない。

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