2017/04/25

泡沫夢幻SSD

・また、SSDが、いきました。

・いまいち有名じゃないメーカーのものをセールだからと若干の冒険心を抱いて買ったりするのは、ことストレージというものに関しては、あまり、おすすめしません。

2017/04/21

そしらぬ顔で酔生夢死

・成果の安定のためには行為の安定が必要であり、行為の安定のためには精神の安定が必要となる。つまり成果は安定しない。

・一日二十四時間、誰の言葉も聞かず、誰の言葉も読まずに、独りでただ生きていければいいのに。ガラス面を水がすりぬけることがないように、それは自分には叶わないであろうという事実を、濁った笑顔で呪う。

・「いばらのうみを流用して作るノンフィールドRPG」(仮名)、まったく眠れないので、布団の中で色々考えていたよ。骨格は大体こんなもんかな、くらいにはなった。まだ作るかどうかはわからない。インターネット上における英雄的蛮行的無償行為の源泉は、バイオリズムとの妥協点にたぶんある。ボスとかの絵は描きたいな。

2017/04/19

名名作作

古典の名作、世紀の傑作と語られる作品には、「どれだけ時間が経っても、作風に時代を感じたとしても、やはり多くの人々の感性に訴える、スゴイ代物」と、「その時代特有のムードや、限られたファンへのアプローチ等の諸事情によって、名作として担がれてしまったもの」の二種類に、明確に分けられると思うので、もし名作と言われている作品を読んだりして「あれ?おかしくない?」と思っても、後者ということにして、あまり気にしないのが賢明だ。
たった今の自分に向けて。
面白くないものがどうして面白くないのかを懇々と問うよりかは、「なぜ当時その作品が後者の枠組みに収まり、今もそう語られるのか」を思考してみることの方が、まあどっちかと言えば価値があるのかな、と思う。

その手で触れて、素直にそう感じた、自分の感性を、何よりも大切にしよう。

(…なにを読んだかって、それは秘密。だって名作だから)

2017/04/18

・嘘は極端な食事制限みたいな代物で、一時的には効果的でも、続けている内に、続ける行為そのものへの代償の大きさに、歯が立たなくなってしまう。

・しかしその一方で、真実を一途に追いつづけていても、割と人は死ねる、と思う。

・祝福すべき、健全な、非難の謂などない誰かの朗報をふと目にして、なんといっても、陰鬱な気持ちになるんだから、わけないよなー。だがそれが他ならぬ本心なのだから、「おめでとう」と笑顔を浮かべて手を振る、だなんて、生半可な根性では続けられるはずも、ないのだ。いくら稀有壮大な虚勢を張っても、最後の最後の局面では、本心という取引相手に、忠実に尻尾を振ってしまう。それがありがちな宿命なのだとしたら、もう、呪うことも、笑うことも、できない。

2017/04/17

なんとか

・さいきん、主に時間を有用に使っている人たちを見ると、「意志強いなー」と思う。「賢いな」「物知りだな」「健康だな」ではなく、「意強いなー」だったりする。これは無責任な憶測なのだけれども、最後の最後に、そして最も基本的なところで、人間の諸活動にとって必要となるのは、あーりんが考えるに、たぶん、この志という代物だ。我ながら言っていて抽象的だしまとまってないなとは思うんだけども、なんというか、この意というのは、あるところに向かおうとする心の力みたいなものだ。そしてその方向性や目的地は、さほど重要ではないように思える。強さが大事だ。そして肝要なのは、この意志というパラメーターは、経験的に、強化するのが、とても、難しい。

・新しいノンフィールドRPGの企画を書いていた

できるかもしれないし、できないかもしれない なにもわからない

作るのがめんどいので、「いばら」のシステムを流用しよう、というところが最初の段階のメモだったりする そんなもんである

2017/04/11

学生服は処分場に行けない




最近、物語に登場する学生たち、ティーンエイジャーを中心とした年齢のキャラクターたちが、ようやく「素敵」だと思えるようになってきた。
ようやく。

学生たちの物語には、一定の人気があるようだ。映画のポスターや漫画の表紙やドラマの番宣に学生服は欠かせないし、そういう人気は世界共通のところもある。あーりんは、そんな物語の支持者たちの熱狂を目の当たりにしながら、キラキラでギラギラの誇張された学園生活を浴びては、己の記憶や現実にいい感じのブラーをかけて、そうやって真っ赤な嘘を真実と呼び続けた挙句、ついに真実にしてしまうつもりなのかな、まあ、それもいいんじゃないの、干渉はしないよ、みたいな、割と冷めた目で見ていたつもり、だった。

ところが、最近になってきて、みょーーーーに、学園ドラマが楽しいのだ。
大抵の場合、彼ら・彼女らは、物語世界の中で、懸命に、真摯に生きている。少なくとも生きようとしている。それが結果的に上手く行かなかったりすることも多々で、というか失敗ばかりなのだけれども、いかなる結果においても過剰なまでに真摯に受け止め、喜び舞い上がり、あるいは怒り、失望し、悲しみに暮れたりする。そして再び立ち上がる。そう、立ち上がるのだ。そんな彼らの姿が、なんとも魅力的で素敵に見えてきた。チャーミングで愛おしいのだ。応援したくなるのだ。そう思える。

閑話休題。
「若いっていいよなあ!」という感慨には、「もう自分は若くないからね」という背景を相対的・暗示的に含意していることに注目しなければならない。その事実について思いを馳せると、あーりーんの場合、何故か「滅茶苦茶に散らかった野外のゴミの山=最終処分場の光景」が脳裏に浮かんだりする。そして、自分の肉体がそこに放り込まれるのももう時間の問題だろうなー、などとペシミスティックに思ったりもする。

ちょっと考えてみれば、わからなくもないお話だ。これまでにおいて致命的、宿命的なまでに「校舎で学業する若者」という生き物になれなかった身としては(その点に関してはそこそこの人に勝てる自信がある(ばかじゃないの))、愉快、不快以前に、「よくわからない」という心的処理でもって、物語に登場する学生たちに対応していたのだろうと思う。今はそうした疑念、あるいは懐疑が若干でも乖離して、言わば素直かつニュートラルな気持ちでフィクショナル・ティーンエイジたちに感心できるようになったのだろう。だとすればそれは好ましいことだ。

あるいは、もっとも哀れな事態を――忌避さえもできなくなってしまったという事態を――自らに宣告してしまった、ということのかもしれないけれども。

2017/04/08

んっき

・「自分の中にある謎の自分の人様への体面」のために娯楽を選択するってのも、おそろしいまでに不毛だし、格好悪いし、だきすべき行為だなああああーーーと思って、自省する。好き、で選ぶべきだ。そこを好きで選ばなかったら、これから一体何を好きで選べるというのか。

・ぶれすおぶざわいるいどの戦闘に使う武器を選ぶような、サッパリとした気持ちで物事を選んでいきたい。後悔よりも希望を抱いて生きていきたいから。

あまりおもしろいと感じてないのに代償のように吐いてる時の夢気分

・今更ながら少しだけわかってくる。3Dゲーム酔いには「カメラの高速回転」「意図しない(スティックとか倒してない)カメラの移動」が、どうやら影響しているようだ。体感で調べた。あとゲーム内オブジェクトに注目しすぎると酔いゲージが上昇する。

・というわけで、3D酔い仲間の皆様におかれましては、カメラを不必要に動かさないこと、設定できる場合はカメラスピードを落とすこと、同じキャラとかオブジェクトに視点を向けすぎないこと、をオススメします。定期的な休憩も忘れずに。

・今ちょっと検索したら似たようなtipsが余計なお世話のようにうじゃうじゃ出てきたけれども。インターネットって便利だなあ。あらたなる時代の神かもしれないね。

2017/04/03

NEWゲームをはじめて1時間足らずで:








・・・・。


…さいきん、更に酔いやすくなってるような、まさか……とし……?うそだといってよ……このあーりーんはえいえんの17さいなんだから……

3Dゲームでも絶対酔うわけでもなくて、一体どこが違うのだろう(ブレスオブザワイルドは珍しくまったく酔わなかった)。
ゲーム内カメラの挙動に関連しているとは思うのだけども。首をひねるしかない。そして首をひねれば、三半規管がふたたび唸りを上げるのだった。

2017/04/02

眩暈

『せっかく奮発して1月にPCを新調したのに、まったくわたしの生産性が上がる気配を見せないんですけど!!?クレームかけるなら、どこがいいですか!?おしえて至急迅速に!マザーボードメーカー?CPUメーカー?メモリメーカー?それともPCケースメーカー!?上昇するはずだった生産性をわたしに返して!!生産性!!生産性!!生産性!!!! ……あー疲れた、もう寝よう……』

「おのれ自身に文句を言え」

2017/04/01

dirty lie

うそ!?なに!!?今日エイプリルフールなの!!?!!?!!?

・・・・・・。


・・・まあ、インターネット空間において、偽物の名前と虚偽の姿を用いて活動して、それを他人様の意識に接触させている時点で、それってある程度は、何もかもが嘘みたいなものだと思う・・・。

無理を通してSAW理を通す

なんといってもドッキリメカの創作意欲と制作スピードがすごいことになる

そう シリーズを一気観したよ
ねっとふりっくすと レンタル屋さんで

人さらいをしては世にも恐ろしい殺人からくりに陥れてその人性をためす殺人鬼ジグソウにまつわる、人気パニック映画シリーズだよ

続けるにつれて。
続けるにつれて、どんどん舞台の規模を大きく、その表現も過激にせざるをえなくて、まるでそれに反するようにして、ストーリー的にはやりたいことやっちゃったからもう行き詰まっていくしかなくて、むしろ尻すぼみに、呼吸困難のようになっていくという、
「意図せざる続編の悲しみ」
みたいなものを、このシリーズ7作は大いに体現してくれたと思うし、少なくともそれに大いに対面した思いには、勝手になったよ。

そんなことを感じながらも、あーりんは最後まで結構気持ちよく楽しく見られた。「うええ~~??」みたいにリアクションしながら。アホだから。

傑作だと思う「1(むじるし)」ではグロテスクな描写は実はかなり控えていた(最後のアレのシーンでも、まったくその箇所を映していない)のに、どんどんイケイケbowel飛び散り上等になっていったのが、なんだか象徴的におもえた。そして、それを遂行するビックリドッキリメカやそれを仕掛ける理屈は、どんどん杜撰にもなっていった・・・。

一言で言えば、まあ、「ソウは~まで」とか乱暴に言われちゃう代物だと思うんだけど、(あまり一言で言えてない)
でも、なんか、最後まで見た感想としては、あーりんとしては、
にくめないな・・・。にくめないんだ

~~~

だって、だって・・・この「1(むじるし)」をやったあとに、「人気出たから続編作りまくるのだ」なんてことになっても、当事者があーりんだったら、もうどうすればいいのか全然わかんないもん。どんなに頭を捻っても、この納得させる形の物語を連発できそうには、ないもん。それはもう無理なことだと思うから。

その無理を通してでも続編を作る、続ける、ということを、できるだけのサービスをもってして、殺(や)ってくれたと思う。だから、あーりんは、この一連のシリーズが、なんというか、にくめない。いやになれなかった。
ムリがあるとか後付だとか矛盾するとか、そういう数々のトラップを差し置いても。
よくここまで続けてくれたものだなあ!と、あーりんはセンキューを贈りたいんだ。制作者にも、ジグソウにも。いややっぱりジグソウはだめだ。