2017/02/16

わけのわからないもの・ビギンズ

身の回りが、わけのわからないものばかりで、ふと恐ろしくなることがある。

自室にいる。何気なしに、身の回りにあるものをひとつひとつ観察してみると、ほぼすべてが人工物であることに気づく。大量生産技術に依拠していると思しき、工業的人工物。色々なものがある。信じがたいほどに精密なものや、どうやって作ったのかまるでわからないつやつやしたものや、見事な円形や黄金比にかたち作られたものや、色がはっきりしているものや、不純物のまったくないものなどがある。このテキストが表示されるディスプレイも、もちろんその類だ。そして、身の回りのそれらはすべて、わけがわからないものだ。どういった原料から、どうやって作られて、どう供給されたものなのか、いまひとつ不明瞭で、イメージが細部まで行き届かない。あくまでもあーりんにとってはなんだけど、それはなんだか、不気味なことに思える。

さいわいなことに、現代は身の回りに魔法の箱とか板(悪い意味でオールドスタイルな言い回しになってる時期)があるから、「なんとか 製造法」とかで検索すれば、ある程度は理解できるかな…と思う。思いきや、表示されたテキストたちはその最初の二歩くらいで、重化学工業史や薬学史や原料の輸出入の業態や繊維工学や電磁気学や成形技術や成形技術のための成形技術などの、高度な専門科学のレベルに、平然と踏み込んでいく。専門用語が2,3個出てきても対処する気くらいはあるけれども、ほぼすべてが専門用語でもって殴りかかられると、こちらとしてもどうしようもない。要は調べてもわけわかんないんだよにゃ。どういうものを使って、どういう技術で、どうやって作られているのか、わからない。調べれば調べるほど新しい疑問に分岐するような感じ。これだけ諸産業技術の発展と細分化が凄まじいと、ある専門分野についてはわかる人でも、別の専門分野での「わからない」がきっとある、と思う。つまり、たぶん、この世の誰にも、すべてはわからない。

別に、森とか樹海の中でごろごろしてね、穴の中で暮らしてね、みたいな、ちっとも笑えないようなお話に着地したいのではない。ただ、これだけ身の回りがわけのわからないものでさっぱり構成されていて、その中において人間という、ほとんど天然物と呼べるものが確固たる命と意志を持ちながら生きている、というのは、なんだかすごいことだなあ、と思った、たったのそれだけだ。そしてあるいは、人々はまた、そのわけのわからないものたちのために日夜懸命に生きていたりも、する。

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