エンターテイメント系の映画とかでよく、「ギリギリのギリギリのところでセーフ」みたいなシーンあるじゃないですか。どうしても気になってしまうのが、「もしこれがアウトになってたらどうなっちゃうんだろう・・・」みたいな・・・。
たとえば、「自己崩壊する古代遺跡の中で次々と自動で閉まっていく数々の巨大岩ゲートを超える主人公が閉じる寸前のギリギリのタイミングで次々と通っていくシーン」とか、微妙なところで足が挟まったりしてそのまま押しつぶされたりしたら、なんだかものすごく空しくてシュールな絵面になるような気がする。壮大なBGMもスッと止まると思う。あるいは、「崖から落ちて命綱に一度すくわれるも、その命綱も途中でバチンと切れて主人公が落下、なんとか近くの岩の角にしがみつくシーン」とかで、岩の角が微妙につかめなかったりして落ちて普通に死ぬとか。
主人公たちには何よりもギリギリピンチを通っていく度量と資質が必要で、もしギリギリピンチを通れなかったらエンターテイメント映画のメインキャラクターとして失格なのだ。またギリギリピンチに遭遇することも肝要で、危険要素を先読みして余裕綽綽で越えちゃったりしてもそれはそれでダメなのだ。難儀なものだと思う。あーりんはやりたくはない。
だからといって、じゃあ完全に合理的でギリギリピンチを潜り抜けられない、あるいは存在しないエンタメ映画、ギリギリに失敗してキャラが普通に死にまくったりする映画があったら楽しいのかって聞かれたら、「一度はそういう実験見てみたいよね、まあ一度くらいは・・・」におちつく・・・。
要するに、程度問題なのかもしれない。ギリギリセーフの使用者は、必然的に緊迫とご都合主義のタイトロープを渡ることになる。そう・・・ギリギリセーフは、その使い方そのものがギリギリセーフを求められるのだ(落としたつもりになってる)。
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